【開発実績】『香川・時空間デジタルアーカイブ』制作秘話を語り合う
~ 目次 ~(クリックするとジャンプします)
◆デジタルアーカイブコンテンツ制作という名の「挑戦」
・香川大学とのつながりと制作経緯
・香川大学の連携と作業分担
・穴吹学園チーム編成とそれぞれの役割
・完成させていく上での苦労と醍醐味
・現在の業務とチームの動き
◆穴吹学園時代の学びを語り合う
・現在も役に立っている穴吹学園での学び
・進学を考えている方々へ母校・穴吹学園をアピール
・企業の採用サイドの目から見た穴吹学園
◆デジタルアーカイブコンテンツ制作という名の「挑戦」
香川大学とのつながりと制作の経緯
―中本 副社長
香川大学とのお付き合いは来年で10年になります。今回のプロジェクトは、2022年に「中野武営は地元香川県の独立に貢献した人だけど認知度が低いため、周知するプロジェクトに協力してほしい」と相談されたのが始まりでした。
同大学のイノベーションデザイン研究所の國枝准教授とディスカッションを始め、2年かけて実際に作るものを決め、今年10月に『香川・時空間デジタルアーカイブ』が一般公開されました。
中野武営さんという偉人。私はたまたま知っていたけれど、みんなは知ってた?
―森さん
僕は、プロジェクトに参画したときにはほとんど武営さんについては知見がない状態でした。
―豊永・齋藤さん
僕らも同じで、知りませんでした。
香川大学の連携と作業分担
―森さん
まずは香川大学側の「やりたいこと」の整理から始めましたよね。武営さんに関する資料を保存し、多くの人に見せたいと。國枝准教授はイメージができあがっている様子でしたので、それを丁寧にヒアリングしました。
画像、写真、書物など、当時の武営さんの古い資料が手つかずのまま保管されていたり、詳細の分からない資料は散らばっていたりという状況だったんです。そこで重要になったのが、歴史的資料を劣化させない、いわゆるデジタルデータに置き換えたいということでした。
―豊永さん
一つひとつの資料がどこで見つかり、どういうものなのかというデータ情報をまとめたのは香川大学さんです。その資料をこういう形で表示したら良いのでは、サイトはこういう見た目がいいんじゃないか、この技術ならグローバルに公開できるな、といったところを大雑把に我々が判断し、ディスカッションして詰めていった感じでした。
―齋藤さん
どういうふうに見せたいかを考えるのは香川大学で、その考えをどういうふうに実現させるかが僕たちの仕事でしたよね。
―森さん
1800年後期から1900年前半ぐらいまでの当時の地図情報を国土地理院から購入し、それをデジタルデータに置き換え、一つひとつの資料が当時の地図上ではどこで撮られたり保管されていたのかを見られる『地図サイト』も合わせて作成しました。今回の制作は、武営さんに限らず、今後もっと応用されて広がりを見せるアーカイブになると思いますよ。
だから、二人。これからも頑張って!
―豊永さん・齋藤さん
はい!
穴吹学園チーム編成とそれぞれの役割
―中本 副社長
豊永くんと齋藤くんの二人は去年入社して、去年一年間は弊社の仕事に慣れるために色々な業務を任せ、今年は本格的なプロジェクトに参画させようと思っていました。
―森さん
そうですね。二人は本プロジェクトの当初メンバーの想定でした。今回香川大学とのご縁を繋いでいただいた中本さんはプロジェクトマネージャーとして全体を管理していただき、2年目の二人にほとんどのコンテンツを作ってもらい、動作確認を行ってもらう、という感じでした。二人ともよく頑張って作ってくれたよ。
―齋藤さん
はい、頑張りました(笑)
僕が担当したのは、主に地図アプリの試作モデル作成と作成後の技術検証、実装、そして動作テスト。打ち合わせ時の議事録の作成も行いました。
今回の『香川・時空間デジタルアーカイブサイト』では、武営さんの関わった資料、書物、絵画、写真などを見られるだけでなく、彼が活躍した当時の地図を閲覧できるようになっています。「彼が〇才のときはこんな景色を見ていたのか」ということがダイレクトに伝わってきます。その地図アプリのメイン担当が僕と豊永さんでした。
―豊永さん
地図アプリのデザインは、香川大学の学生さんに一緒に考えてもらいながら作成しました。1870年あたりからの古い地図のデータをサイトに落とし込むために、現在の地図と古地図の位置情報を合わせて、それらが上手くマッチするように調整していきました。
―森さん
改めて振り返ってみると、香川大学の方とは僕が、細かいデザインについては豊永くんが話し、齋藤くんは打ち合わせ参加して、話し合ったことをしっかり議事録に取ってもらうという役割だったね。
―中本 副社長
我々の仕事で議事録って大事なんだよね。話し合いに集中していると議事録を取れないので、齋藤くんには議事録をメインで書いてもらいましたが、どういう議論がなされ、これはできる、できないなど、双方の要望や回答の抜けや漏れがないように、しっかり記録をとってもらうわけです。
―森さん
僕は指示出しをする立場なので、実際に開発してお客さんに出す、世の中に公開するためのフォローアップをしていくのがメイン業務でした。今回、実際に物を作ったのは豊永くんと齋藤くん。二人は初めて参加するプロジェクトで、どう進行するのかわからないという不安があったと思いますが。
―齋藤さん
そうですね。まず、どういうシステムなのかを理解するところが結構難しくて…。
―森さん
簡単なデザイン案、ここに何を配置し、こういう機能があるものを作ってほしいっていう指示出しをし、具体的な詳細レイアウトやイメージは二人に作ってもらいました。文字の大きさや色をどうするかなども二人に考えてもらい、方向性の相談やモバイル対応もディスカッションしたね。僕は聞く側で、発信するのは豊永くんと齋藤くんだったので、二人は勉強しながらだったから大変だったと思います。
―齋藤さん
はい。僕は「地図タイルマップ」が何のことなのか、最初わからずにいました。まず専門用語を理解するところから頑張りました。
―豊永さん
森さんから依頼が来て、「次回の打ち合わせまでにここまでは作ろう」と香川大学の方と話し、その期限に間に合うようにタスクをこなすことを意識して作業していました。
―中本 副社長
豊永くんと齋藤くんが互いに相談し合っている姿をよく見ましたね。私たちが口出しするよりもまずは二人で相談し、その上で森くんに相談が来る。森くんが悩んだら最終的に私のところに来る。ボトムアップでいろいろと考えたことを相談し、最後に迷ったらジャッジするみたいな形で進んでいたので、すごくやりやすかったね。
―森さん
みんな同じアナブキの出身っていうこともあって、「そういえばあの先生ってまだいる?」みたいな感じで会話は弾みますし。初めから連携度は高かったと思いますね。普通に仲の良い、話し合いできる関係性が築けていたので、今回プロジェクトに参加するときもコミュニケーションに不安感はなく、普通に話をしていればスムーズにいけるだろうと予想していました。
―齋藤さん
はい。実際そうでした。何度も気軽に相談に行っていました(笑)豊永さんは大人で、聴けばだいたい何でも返してくれますし。頼れる人がいてありがたかったです。
―豊永さん
そんな…4つくらいしか年は変わらないんだけど(笑)
齋藤くんは情報ビジネス学科出身なので、プログラムはあまり学校で習ってなかったと思うんですよ。だから実践的なところは、会社に入ってからすごく学んできたと思うんですよね。すごく成長しているなって、横で見ていて感じました。
このプロジェクト以外にも齋藤くんとは関わることが多いので、僕の方も齋藤くんに頼もしさを感じています。
完成させていく上での苦労と醍醐味
―豊永さん
本格的に自分が関わったプロジェクトはこれが初めてで、まず武営さんの知識がなく、調べながら進めることに苦労しました。僕が担当したデザインには、正解がないというか、見る人によって意見が違います。そこでしっかり自分の考えと香川大学側の考えをすり合わせ、良い方向に持っていくところに苦労しました。やりがいはありましたね。
―齋藤さん
僕も『地図タイルマップ』のデザインが決まってなくて、配色はこんな感じでいいのか、自分なりの解釈がこれでいいのか…と迷いながら進めていたのですが、結果的にいい感じのデザインになって良かったです。
プログラムを作ること自体は森さんの指示が的確で、その通りにやっていれば終わりました(笑) やっていて楽しかったです。
―森さん
今回の制作のポイントは、「ウェブサイトを作ること」と「地図アプリを作る」の二つでした。
Webサイトを作るのは、いわゆる一般的な会社のホームページ制作と同じ感じなので特段心配はしていなかったです。ただ問題はもう一つの地図アプリの方でね。
世の中にGoogleマップとか地図アプリはいっぱいありますが、それを単純に表示させるだけなら簡単な作業です。しかし今回は昔の地図を紙で購入し、それをデジタルデータに変換し、それを現在の香川県の位置に収めないといけなかった。それをどうやるか…。全体の管理と設計担当だった僕が一番悩んだところでしたね。
いろんなソフトを触って、これでいけそうだというものが見つかって、豊永くんに作ってもらいましたが、そこに至るまでが大変でしたし、不安でした。豊永くんが本当に完成まで頑張ってくれたので、とても良いものになりました。
昔の地図をデジタルデータに変換したのは豊永くん。それを使って、全く新しい地図アプリを作ったのが斎藤くん。プロジェクトで一番難しいところだったよね。弊社では手慣れたwebサイトの制作と地図データの取り込みという未経験だった難所を乗り越え、二人が役割分担して完成させてくれました。
―中本 副社長
すごく苦しんでいたよね。横からああじゃない?こうじゃない? とアドバイスはしても、なかなかそう簡単には合わないので、ずいぶん悩んでいたよね。
―豊永さん
はい。微妙に昔の地図っていうのが、正確な位置情報がなくて曖昧な情報しか載ってないため、どうしても現代の地図と位置が少しずれてしまう。玉藻公園など昔から存在しているのに昔の地図の位置情報を合わせたら、現在の地図とずれていて、あれ?場所が違う? と…。
昔の地図の曖昧さゆえ、そういうことが起きたんだと思います。それを目視で合わせるなど、苦労しましたね。『香川・時空間デジタルアーカイブ』が公開された、玉藻公園の「ブエイまつり」当日に僕も行ってみたんですけど、訪れた人たちが画面に触れながらコンテンツを楽しんでくださっている場面を見た時には達成感を感じました。
―齋藤さん
僕は地図アプリのプロトタイプを作成し、國枝准教授からお褒めの言葉をいただいた時に達成感を感じましたね。
―中本 副社長
齋藤くんは初めて仕事をお客様に褒められた。直接お客様と話す機会もこれまでは多くなかったし、良い経験になったね。NHKのニュースにも取り上げられた。自分たちが作ったものがニュースに取り上げられ、テレビで流れたってのはすごく刺激になったんじゃないかと思います。そして今も一般の方がサイトにアクセスして、見ていただけている。
日本の経済発展にすごく尽力した中野武営は、渋沢栄一の後任として東京商工会議所の会頭を務めた人で、今香川県があるのもこの人のおかげだけど認知度が低い。この人を広めようという動きに私たちが協力できた。このアーカイブの公開に関われて良かったと感じています。
森くんも言っていましたけど、アナログのデータをデジタル化してアーカイブにする。それを実際にきちんとデータ化できたこともすごく意義があった。
さらに実際システム上でデジタルのデータと、位置情報とがミックスされたものが見られる仕組みになり、ちゃんと動くようになった。本プロジェクトに関わる中でとてもおもしろかったポイントです。本当に良かったと思っています。
國枝准教授は今作った仕組みを、中野武営だけで終わらせたくないと言っていました。いろんな人のデータや、私たち一般人のヒストリーも、こういう仕組みで残せるように使っていきたいとおっしゃっていたので、そういう活用が今後も成されていくと思います。最初にお話を伺った時点でその構想があった、ということなので大変興味深いです。具体化されていければいいなと思っています。
現在の業務とチームの動き
―中本 副社長
現在デジタルアーカイブは一般公開されて、次どうやって機能アップを図ろうかという段階なので、今はこのデジタルアーカイブチーム自体は動いていないのですが、森くんを始め、豊永くんも齋藤くんもそれぞれ弊社の業務を担当しています。
―森さん
僕はこの会社に勤めて10年目になり、今はSE業務がメインです。プロジェクトに参加し、どういうものを作りたいかなどのヒアリングをクライアントに対して行い、開発する人に引き渡すための設計、技術検証、構想を練るのが基本的な業務です。
具体的には現在は、企業向けの業務管理アプリとか、勤怠管理とかのアプリを作っていますが、プログラムを書くのは検証のときぐらいで、ほとんどは設計。お客さんと話すのがメイン業務となっていますね。
SEという仕事はお客様と話すことが多く、大体プランが固まったらプログラマーにお渡しします。技術担当として提案や契約を取る前からお客様とお話しすることもあり、一番褒められるのも僕ですが、一番怒られるのも僕なんですよね(笑)大変ですがやりがいも大きいです。
―齋藤さん
僕は製造業界のクライアントさんを中心に、「PowerApps」というツールを使って申請アプリを開発していました。最近の取り組みは、「SharePoint」内での検索機能の開発。開発自体はまだ行ってないんですけれど、打ち合わせに参加して議事録をとったり、あとQ&A管理表に記載したりしています。
―中本 副社長
その開発は10月からやっていて、打ち合わせをしているとやはり質疑応答の場面があり、議事録にも書きますが、独立した質問に対して、こうですよっていう、質疑応答を抽出したものを管理表として残しておかないと後々見返せなくなる。それを齋藤くんにメインでやってもらっています。お客さんが言ったこと、弊社がお返事したことを記録してくれています。
―豊永さん
齋藤くんから話が出ましたが、某製造業の申請システムのサイト開発は、開発したものがしっかり動くか、バグがないかなどのテストを僕の方で最近まで行っていました。検索機能のシステムは、他のSEからの用件で、お客様の要望をまとめてくれているので、それをもとにアプリの設計書を作成しています。これは初めての業務で、その設計書をもとに齋藤くんが開発を行う流れです。
―森さん
1年目は仕事に慣れる、2年目は開発としてプロジェクトに参加する。それが慣れてきたら他の業務もやってみようという感じで、豊永くんは初めて設計業務にチャレンジしている。同じ部内なので相談を受けやすいです。
二人はまだ2年目なので「慣れた業務」がもう1回来たということがない。初めて開発して、設計して、動作確認やテストをし、お客さんと話す。この2年間ずっと「新しいこと」をやっているわけです。慣れて、今回は前にも関わったプロジェクトの知見が使えるな、という経験はまだないんですよね。
なので、刺激を受けつつ、頑張っている状態だと思っています。一緒に話したり、他の案件とか、プロジェクトに参加しなくても、気軽に質問してもらえたりする関係に、なれていたらいいんですけどね(笑)
最近は二人とも独り立ちしてしまって。1年目の頃は「森さん、森さん」と質問に来てくれていたんですけれど。最近は回数も減って少し寂しいです(笑)
―齋藤さん
今も結構質問していますよ。わからないことがいっぱいあるんで。
―中本 副社長
森さん、森さんって言ってあげて(笑)
―豊永さん
そうですね!森さん、言われたいです?
―森さん
まだ頼れる先輩でいたいですね(笑)
―中本 副社長
真剣に取り組んでいるときはみんな静かで、三人のいるフロアは「シーン…」なんですけど、いざ困ったというときには、ちゃんと相談にどちらかの席に行って、本当にフットワーク軽く進めてくれている。困ったときはちゃんとフォローしているし、互いに相談できているのはすごく伝わりますね。困っているのに誰も手を差し伸べないということは全然ないので、3人、すごくいい感じで仕事に取り組んでくれています。
◆穴吹学園時代の学びを語り合う
現在も役に立っているアナブキでの学び
―豊永さん
僕は情報システム学科出身で、授業でガッツリとプログラムを習っていました。今回のデジタルアーカイブのサイトは、授業で習った技術をいっぱい使っています。そのあたりの基礎知識は穴吹学園での学びが活かせています。プラスアルファで、これはどうしたらいいか? というところは、調べながら取り組んだ。授業で習った技術はそのまま使え、さらに応用を効かせた感じです。僕の時代は、HTMLとかCSSとかJavaScriptを幅広く習っていました。今回のアーカイブサイトはほとんどそれらのスキルで構成されています。
―齋藤さん
僕は情報ビジネス学科で、事務系だったんです。簿記とかイラストレーターとかのデザイン系とか、MOS系のExcelとかWordの高度な使い方といったパソコン全般を習うところでした。HTMLとCSSも少しだけかじりました。プログラムを習う学科ではなかったのですが、ウェブサイトを作成する授業が何度かあり、そのときにサイトのデザインなどデザイン系のセンスが磨かれたと思っています。その学びが今回の地図アプリ作成にも生きたんじゃないかな。
―森さん
僕の通っていた情報処理学科は、今はないんですけれど、基本情報と、僕は応用情報までを学生時代に取得しました。うちの会社は「ウェブシステム」という社名ですが、仕事はいわゆるWebだけでなく、お客様に合わせていろいろなことを実施しているので、Webだけの知識ではお客様が何を言っているかがわからない…ということが起こったと思います。
国家試験に取り組んだ時の知識があったので、会社に入ってから技術の言葉や専門用語で困ることはなかったですね。本格的に「作る」部分は、会社に入ってから経験を積みましたが、学生時代に学んだIT基礎力、ベースはこの会社に入ってからも役立っています。入社10年目ですが、10年目にしてもまだ「これってなんか昔学んだことあるぞ」みたいな発見もあったりします。
豊永くんと齋藤くんが言ったような、いわゆるプログラミングの基礎を学ばせてもらっているので、全ての勉強は今も役に立っています。
―中本 副社長
私は昔すぎてですね(笑)30年前だからね。でも、アナブキのこういうところがよかったな、みたいなことは覚えています。昔の良さみたいなものが、脈々と受け継がれているところってあると思うんですよね。
―齋藤さん
厳しかったですか?
―中本 副社長
いや。厳しくはなかった。のびのびとしていました。クラスメイトも何かのんびりしていて。今だと単位、結構みんな計算してちゃんと出席しているんじゃない?
―豊永さん
ああ。そうですね。これ落としたらとか、そういうのを考えたりしましたね。
―中本 副社長
そんな細かいことを言ってるヤツはいなかったと思う。昼休みにご飯食べに行った後、近所の中央公園で昼寝して、午後の授業に遅れてくるヤツとか普通にいましたよ。私じゃないですよ(笑)時代もあるんでしょうけど、のんびりしていたと思いますね。
コンピュータの学校というのが当時はなかったので、専門で学ぼうと思ったときに選択肢がそんなにはなかったんですが、アナブキに行けてよかったな、と思いますね。
―齋藤さん
同じ趣味の人が集まっているっていうのもあったのでは? 話しやすかったでしょう。
―中本 副社長
大学とかよりは、多分そうだね。コンピュータっていうものが何かわからんけど勉強しに来た、みたいな人もいた。
―森さん
全くの無知の状態で入ってくる人もいたんですか?
―中本 副社長
そうそう、いたね。あと企業から勉強してきなさいって言われて来た人とか。だから30代とか30代半ばの人が同級生でいて。結構、年齢も雑多だったな。いろんな人と関われた。校舎の1階のところは昔タバコ吸えたのね。
―豊永さん
今はもう全然、無理でしょう。
―中本 副社長
学生もそこでタバコ吸って、10も20も年が上の人、会社勤めしているけど学校に来てる人とかと、「なんでこの学校来たんすか?」「いや、会社から行けって言われたから勉強しに来たんや」みたいな話をして。
私はタバコ吸わなかったから友達と一緒にいるだけだったんですけど、そういう感じの結構雑多な人たちが学校に来ていて、交流していました。
今はどうなのか…今も年齢もバラバラ?
―森さん
僕のときもバラバラでしたよ。留学とかもあって。いろんな人と話せるのは同じでした。
―中本 副社長
アナブキってひとクラスで一緒になっているから、それだけで雑多な人たちとの交流の密度が結構高い。面白い人たちがいっぱいいましたよ。
結局、社会人の方と学生の時点でお話ができる。学生だと社会のことは想像つかないじゃないですか。社会人の話で「そんなことあるんや」と…
勉強の内容はさすがにあまり覚えてないけどね(笑)コミュニケーションもコンピュータの話題で話せるので、大学とは全然違うと思います。
いわゆる「陽キャ」の人たちとは話せないじゃない(笑) そんなことない?
―豊永さん
陽気な体育会系の人たちとは…ちょっとね、なかなか気が合わないかな(笑)
―齋藤さん
向こうはそんなに思ってないかも?
―森さん
いや。合わないっすよね。やっぱり(笑)
―中本 副社長
すごい距離感を詰められたら、こっちとしては「あ、ちょっと近い…」と思っちゃう(笑)
資質も似たような人たちが集まっている方が話しやすいというのはある。趣味とかも結構話が合うと思うんでね。
進学を考えている方々へ母校・穴吹学園をアピール
―豊永さん
こういうIT系の会社に進む希望があるのなら、穴吹学園は基本的なことから教えてくれるし、グループワークもあってコミュニケーション能力もつくと思っています。就活を進める上でもすごく面倒を見てくれます。IT系の会社へつなげてくれるし、その辺の面倒見がとてもいいと思いますね。IT系の会社に入るのに十分な知識をつけてくれます。
―森さん
他のコンピュータの学科に比べて、やっぱり間口は広めなのかな。
―豊永さん
そうですね。僕らのときはなかった学科も今は、多分あると思うんですよ。AIとか。ネットワークセキュリティは僕の時もあったんですけどね。どんどん変わってくると思うし、技術的なことも変わってくるので、学科もアップデートされていく。学科がいっぱいあるので、そこはやりたいことを選べて良いと思います。
―森さん
まだ将来の進路が決まってなくても、IT業界に行きたい時は情報システムを選んでおけばいい感じ?
―豊永さん
そうですね。つぶしがきくというか。プログラミングだけでなくネットワークとかのことも学べるので。将来にやりたいことの選択肢が、ITに限らず広がると思います。
―齋藤さん
僕は穴吹学園に入って、地域の人、地域の方々とコミュニケーションが結構取れる機会があり、起業する人たちとウェブサイトを一緒に作成できて、楽しかったです。
一番よかったことは、就活のときに先生がすごく協力してくれるんですよ。めちゃくちゃ感謝しています。
クラスはビジネス系だったけど、僕だけシステム系に行きたいという希望だったので、先生が個別に呼んでくれて、あなたはこっちの説明会に行ってみたら?と誘ってくれて。おかげでめちゃくちゃいい企業に巡り会えました。
―森さん
うちの会社のことね、ありがとう(笑)
―齋藤さん
僕だけ特別プランでした。他の人はここに行きたいとか、自分で決められるんですけど、先生にアナタはここに行って!って言われた(笑)今振り返ると手厚いサポートだったなと思います。
―中本 副社長
情報ビジネス学科としては、就職先は基本この辺りだけど、斎藤くんが行きたいのはちょっとこっち系だから、君はこっちに行った方が就職できてやりたいことができるよ、みたいな形で探ってくれたんだね。
―齋藤さん
はい。すごく良かったです。
―森さん
僕はIT関連に進みたくて、大学も選択肢にありましたが、2年の短期間で専門的なことを学べ、学費もおさえられる。自分の好きなことだけを突き詰められるのが魅力でした。学科に何十人かいた中で数人は応用情報資格というハイランクの国家資格に受かったので、そういった面でも刺激がありました。ちゃんと勉強を頑張ればいろんな国家資格が取れるのも強みです。
当時は成績順位が貼り出されていたんですよ。頑張ってほぼ100点、一つだけ99点みたいな点数を取ったことがあって「これは1位だ!」と思った回から「今回から張り出しません」ってなって、残念だった記憶があります(笑)
あとは気軽に話しかけてくれる先生が多く、友達みたいな感じでよかったですね。
採用サイドの目で見た穴吹学園
―森さん
採用する会社側としては、新人を取らない年もあるんですが、穴吹学園からの応募があれば、毎年の説明会にはいかせていただいています。OB訪問がないので、アナブキの先輩から直接話が聞けるというような企画を考えていただけたら、もっと学生に仕事内容に興味をもってもらえるかなと思っています。
―中本 副社長
穴吹学園は4年制の大学と違って、「仕事のためにコンピュータを学ぶ」としっかりフォーカスしている。「コンピュータの技術を使う会社に就職をするために行く学校だ」と目的がハッキリしているので、きちんと将来を見据えている方には、すごく合うと思います。
豊永くんも齋藤くんも言っていましたが、就職に対して手厚い。今、4年制の大学の差別化が難しくなってきていて、実は専門学校化している現状があります。「4年制大学に行って専門学校的なことを4年間学ぶのってどうなんだ?」 と思われる学生さんには、専門学校の選択肢で、働くためのスキルを身につけることが昔以上に有効になってきていると感じますね。
採用する側としては、まず母校ということもありますし、話を聞いていて採用できる・できない、のジャッジをしやすい。穴吹学園で学んできたことがわかるので、企業側としては採用の判断材料として明確になる。アナブキのどこどこを出たというのがね。
―森さん
アナブキでこれをどれだけやっていた、という話を聞くとなんとなく、その人の頑張りが分かりますから。
―中本 副社長
カリキュラムを見て何をやっていた、何を頑張ったと言う話を聞くと、だいたいその学生が注力したことや「ここが弱いんだな」というところが分かる。企業側としては、採用選考の時に明確にその人をジャッジできます。
あとは学科。特にコンピュータ業界は変化が目まぐるしいので、時代に合わせてAIの学科ができたりと、トレンドに合わせた学科が増えたりしているのはすごいなぁと思いますよ。
私は卒業して30年になりますが、当時はプログラマーコースっていうひとつしかなかった。
―森さん
なにそれ?そんな大きなくくりだったんですね(笑)
―中本 副社長
プログラマーコースはプログラムをする人。3年通うシステムエンジニアコースがあって。今で言う応用情報ね。当時は2種っていっていた。それを卒業するまでにもう1年頑張って取る。この2つの選択肢しかなかった。
今だと技術のジャンルが広すぎて、細分化されているけれど、穴吹学園はそのトレンドに合わせて学科がどんどん変わっていっているのも、学生としてはありがたいと思う。これから有望なコースや自分の興味のあるコースがちゃんとある良い学校だと思いますね。ちょっと前には動画クリエイターとかね。今はそれも当たり前になってきたので、次はAIとか。トレンドに合わせた学科がちゃんとあるというのは魅力的じゃないかな。
―森さん
うちの会社は、どんな学科の窓口にもなれる。業務内容が幅広いので、AIも推していきますし、WEBシステムも手がけているので、多分どの学科を出ても、やりたいことはうちでやれると思いますね。
―中本 副社長
齋藤くんの話していた就職サポートの話はありがたいですよね。彼はタイミングとしては遅かったので、学科としては変われなかったけれど、先生が、あなたが行きたい系の仕事だったらこっちだよ、と目指している方向へちゃんと指導をしてくれている。
―中本 副社長
多分、なかなかのチャレンジだったと思いますよ。
彼は入社してだいぶ苦労していますけれど、頑張っています。頑張れる素地をアナブキで身につけたからだね。
―森さん
在学中からプログラミングの勉強をしていたので、多分途中でWebサイトの作成とかが興味のきっかけになったんでしょう。自分で勉強して、就活にチャレンジした。情報システム科の豊永くんとベースが違うので、齋藤くんは苦労するところも多いでしょうが、プログラミングも頑張ってやっていて、ものすごく成長しています。
本当に偶然ですが、同じアナブキの違う学科の学生二人が、同じ仕事を通じて、学べる同期として共に頑張ってもらえているっていうのは、いいなぁと思います。
―中本 副社長
そうだね。
インタビュー:ウェブシステムテクノロジー株式会社本社オフィスにて
<参考サイト>
★本開発においてプロジェクトマネージャーを務めた中本氏の記事はこちら(本記事の抜粋)